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人工言語学

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序文

論文

高度な作り方

参考文献

人工言語学研究会

心の闇とひとつの誓い


 筆者の心の闇について書く。
 アルカ以外の人工言語をやっている人や、セレンに好印象を持っていたい人は、読まない方がいい。


 アルカを作るのに人生を賭した。その甲斐あって、まるで自然言語かと見紛うほど精巧なアプリオリの人工言語を作ることができた。アルカの作り込み、クオリティには自分でも満足している。
 だが世間にはその凄さが――いかに労力がかかったかとか、どれだけアルカが精巧かとか――そういうことが全く理解されず、認められなかった。

 大学ではアルカをやっていることで馬鹿にされ、大学院でも嘲笑された。周りより遥かに言語学ができたのにだ。
 「セレン君、なんで人工言語なんてやってるの? 君は言語学ができるんだから、言語学をやればいいのに」
 逆だ。こっちはアルカをやるために言語学を学んだんだ。言語学などどうでもいい。
 当時恋をして結婚までした一人の女を除いて、大学では馬鹿にされ続けた。アルカを否定され続けた。
 そんな無理解な世界を怨んだ。

 社会に出た後も世間の無理解に晒された。
 結局体を壊したり嫌気がさしたこともあって、その後は独立した。
 世間は相変わらずアルカに理解を示さなかった。そんな世界を怨んでいた。

 だが筆者は厄介な性格だった。
 こんなにも世間を怨んでいるのに、自分は人を助けてしまうのだ。
 震災のときも人を助け、ふだんから余剰資金があれば施しをし、困っている人がいれば助けてしまう。
 助けた相手がアルカに恩返しすることは絶対ないのに、なのに、弱きを助けてしまうのだ。自分は世間を怨みきれないのか。

 筆者は5つの仕事をしている。そのうち3つは慈善事業だ。
 年収は最初の2つで主にはじき出している。自営業なので年収にばらつきがあるが、多い年で1000万を超える程度だ。
 慈善事業のうち2つは「先生」と呼ばれる仕事をしている。利益度外視で、文字通り慈善事業だ。
 尊敬はされる。だが、だからといって助けた連中が自分を助けてくれることはない。アルカを理解してくれることはない。

 正直、一般人、市井の民については、人工言語なんて高尚な学芸を理解できないので、猫に言葉を教えるのと同じく、最初から期待するのが無理――という境地になっている。
 だから、あまり一般人に対しては苛立ちを覚えないのかもしれない。
 よく職場では「優しい先生。怒ったところが想像つかない」と言われる。なるほどそう見えているのだろう。
 でもそれは優しさではなく見放しかもしれない。世間全体に対しては見下しているがゆえに、そんなに大きな怨嗟を抱いていないのかもしれない。


 苛立つのは、なまじ同じ人工言語に触れている人間だ。
 本音を言うと、ザメンホフとトールキンを尊敬していない。それどころか気に食わない。

 ザメンホフは人工言語の作業をセレンに比べてほとんどしていない。
 エスペラントは語法も確立していない西洋語の劣化キメラにすぎぬアポステリオリ言語でしかない。
 なのに「人工言語といえばエスペラント」という公式ができあがっているのが気に食わない。
 商売上手なユダヤ人がロクに作業もしないくせに知名度だけ稼ぎやがって、と思っている。

 トールキンも、アルカと同じような類型でやっておきながら、セレンに比べ全然人工言語制作の労力が少ない。
 なのにRPGのルーツのように言われ、ファンタジーの金字塔とまで言われる。
 どうせ白人補正がかかっているからで、これがアフリカの黒人だったり東南アジアのアジア人だったらここまで有名にならなかったろう。
 アルカもセレンがアメリカ人だったら今よりもっと有名だったはずだ。
 支配民族の白人様は人生イージーモードでいいですなぁ!

 ただ唯一、イェフダーだけは尊敬している。
 40年以上も信仰心だけで地獄の人工言語作業をしつづけ、とうとうヘブライ語を復活させた。素晴らしい偉業だ。
 なのにイェフダーの名を知るものはほとんどいない。ザメンホフやトールキンといったニセ偉人に比べ、本当の偉人なのに知名度が低い。
 一番努力した人間が一番報われていない。こんな理不尽なことがあっていいものか。だからせめて自分だけはイェフダーを尊敬してやりたい。

 正直、イェフダーを除くあらゆる人工言語屋を尊敬していない。
 なぜならクオリティが低いからだ。要するに努力が足りないからだ。
 最低でもアルカ以上の、自分以上の努力をしていないと、尊敬はできない。

 ましてクオリティが低いくせに、つまりロクに努力もしていないくせに、知名度だけは高かったりすると、尊敬を通り越して軽蔑、蔑視、見下しの対象となる。
 クリンゴン、アルベド、ヒュムノス、アーブ、ヴェルドゥリアン。こんな雑魚どもが陽の目を浴びていることが、許せない。
 アルベドなどセレンなら10分で作れる。ヒュムノスも数日で作れる。だがアルカは数十年もかかった。
 何百倍何千倍と努力に開きがあるのに、ゲームや映画に使われたというだけで、不当に知名度が高い。
 理不尽だ。まるで一生懸命就活を頑張ったのに落ちた人間がいる横でコネであっさり内定をもらった人間を見ているかのような腹立たしさを覚える。

 ヴェルドゥリアンに至っては、ローゼンフェルダーがアメリカ版セレンのようなポジションで有名なだけだ。
 言語自体は異星人設定なのにアポステリオリ要素を含むという荒唐無稽で粗悪なものだ。
 ローゼンフェルダーは「人工言語の作り方」や「人工言語学」みたいなことをやっているが、言語学および人工言語学専攻のセレンと比べると、内容が全く稚拙だ。
 ただローゼンフェルダーがこの世を統べるアメリカ人様だというだけで、セレンより陽の目を浴びている。人工言語の実力だけで言ったらセレンを超える人間はこの世にいないというのに。

 アニメでも漫画でもゲームでも人工言語が使われる。90年代、00年代、10年代と、徐々にその数は増えてきている。
 企業がバックアップをするため、それらの人工言語はどんなに粗悪でも簡単に有名になる。
 アルベドのような単なる換字法のくらだない児戯が――10分で作れるようなおもちゃが――企業の後押しのおかげで、何十年と人生をかけて作られたアルカの横に一瞬で並び、ときにはあっさりアルカを追い抜いていく。
 アルカを作った何十年という努力に対するリスペクトは一切ない。ただ誰もがアルカを知ることすらなく、そして知ったとしても何が凄いのか理解することすらなく、通り過ぎていく。

 そもそもユーザーは高度な人工言語を求めない。
 なんとなく異世界っぽい雰囲気が出ていればいいのだ。その人工言語がどれだけ作り込まれているかなどどうでもいい。
 要するにユーザーが低俗なのだ。高尚で学究的でないのだ。
 だから筆者はかねがね低俗なものや低俗な人間が嫌いなのだ。
 もしユーザーが利口で、人工言語にクオリティを求めれば、大作ゲームには迷うことなくアルカが使われていたことだろう。

 アニメやゲームなどで人工言語が使われたという知らせを聞くと冷笑しか起きない。
 企業コンテンツの中で使われる人工言語は例外なくクオリティが低いからだ。
 アルカのように作り込まれた言語は採用されない。
 人工言語界には「コンテンツの商業性と人工言語の作り込みは反比例する」という法則がある。
 だから興味がわかない。冷笑しか起きない。まだ企業はそんないい加減で拝金主義な物づくりをしてるのかと蔑むだけである。


 何が腹立たしいかというと、努力が報われないことだ。
 筆者は格闘技をやってきた。筋トレも格闘技も努力すればするだけ報われる。成果が出る。
 勉強も同じだ。勉強すればしただけ報われる。点や成績に反映される。

 だが人工言語はそうではない。
 何十年と努力したアルカより、企業のバックアップを持っただけのくだらない粗悪な作り込みの人工言語のほうが脚光を浴びる。

 悔しい。
 アルカを作るのに人生を犠牲にした。俺はコンパにも行ったことがない。合コンもしたことがない。誘いは全て断った。金を本代に回したからだ。
 ときには飯代すら出すことができなかった。飯を食えば本が買えない。本を買えば飯が食えない。そんな状況で、本を買った。
 学費も自分で稼いで、親の借金を返して働いて、アルカを作ってきた。
 家庭を捨ててアルカを取ったこともある。幸せな家庭を捨て、アルカを選んだ。
 アルカを優先させなければ離婚はなかった。そのせいで長男には父親がいない。無念でならない。
 体も壊した。作業のしすぎで体を壊し、一時は退社も余儀なくされた。
 それでもアルカを選んだ。
 そうやって何十年も必死にやってきた。
 なのに誰にも理解されない。誰にも認められない。
 それどころか嘲笑される。
 何も苦労してない企業のバックアップを受けた粗悪言語が脚光を浴びる。
 アルカは――自分の子は泥炭の中に沈む。
 悔しい。

 努力が報われない世の中なんて間違ってる。

 だから、そんな理不尽な世界を壊そうと思った。
 企業はアルカのように作り込まれすぎた人工言語を好まない。
 カルディアという世界背景がまとわりつくので、自社の作品内に組み込みづらいからだ。
 なら自分たちが作ればいい。世間が自分たちを認めないなら、自分たちが自分たちを認めればいい。自分たちが、世界を変えればいい。


 俺たちがアルカでこの世界を変える。
 努力が報われる人工言語界を創る。
 アルカが出てくるまで人工言語制作のノウハウなどどこにもなかった。
 アルカが出てくるまで人工言語のクオリティを気にかける風潮などなかった。
 ある人工言語がどれだけ手塩にかけて作られたか判断する者などなかった。みな「どのコンテンツに使われたか」でしか判断せず、人工言語そのものの出来を見てこなかった。
 制作者は誰もが自分の人工言語を流行らせることしか考えず、力と才覚のある若手を伸ばそうという気はなかった。むしろ潰してきた。

 俺たちはそんな理不尽な世界を壊す。
 これは人生をかけて人工言語を作ってきた人間だから出せる言葉だ。

 アルカと同じように苦心して作られた人工言語には敬意を表す。
 それがアルカでなくとも構わない。誰が作った何という言葉でも構わない。
 俺たちは人の努力を認める。自分たちを凌ぐ者が現れれば、素直に道を譲る。
 頑張って得た地位をそんな簡単に捨てるのか? あぁそうだ。慈善事業するような人間というのは元来そういうものだし、歴史に残る人間というのは本来そうあるべきものなのだ。

 約束しよう。アルカを越える質と量を持った人工言語が出れば、その言語を認め、興味を示し、流布に協力する。
 その証拠に、自分たちは既にそういったライバルを輩出するための活動をしてきた。
 未来のライバルを育てるために、いつかアルカを越える者を輩出するために、「人工言語の作り方」や「人工言語学」や「人工言語事典」を作り、アルカという検体を余すとこなく公開してきたではないか。

 俺たちは人の努力を認める。才覚と努力ある者には相応の報いを与える。もう二度と理不尽な思いはさせない。自分が味わったような苦渋は舐めさせない。
 この世界から理不尽を奪ってやる。

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