almirok
[政治]第二次ミロク革命ミロク革命、セレン革命、ランジュ革命
[レベル]
lj:al/mirokizm
23
[文化]
セレン=アルバザードによって推進されたアルバザードを中心とするアトラス全土の革命運動。カルディア最後の大革命。

mirokizm
[歴史]ミロク革命
[レベル]
19:ilmus:ridia
[文化]
→yuulia arka

<旧版>

 メル320年にアルバザードから始まった革命。社会再建、社会悪の排除、アルティス教の浸透が目的。実行者は時のアステル、ミロク=ユティア。
 ミロクはレイユの腐った社会を改善しようとした人である。徹底的に社会悪を排他し、アルティスの教えに従うアルティスの世を築いた人である
 その行動は急進的で独裁的、そして妥協を許さないものであった。彼は神が自分の味方をすると信じて戦った。絶対に崩れない敬虔さを持っていた。そのため、どんな残酷なことでも革命的なことでもためらうことなくできた
 ミロクは社会悪を徹底的に排他するために、社会が不便になっても構わないと考えた。堕落した人間は享楽に慣れているから享楽がないと不便でつまらないと考える。ミロクはそういう人間を悪として排他し、慎ましい生活を送る者だけを生かした
 ミロクの目的はこのように、綺麗な社会を築くことであった。だから革命は主に政治と法に関するものである。つまり、社会制度の見直しが主なものである

 ミロクは選挙政治を撤廃した。独裁政治の始まりである
 ミロクは敬虔なアルティス教徒であった。その志は素朴で純粋である。ただアルティスの教えに従って世の中を変えていった。社会悪を徹底的に排他するためにミロクは独裁政治を行った
 敬虔なアルティス教徒による政治であるから、利権がらみの独裁政治というよりは宗教政治といったほうが適切かもしれない
 ミロクの時代は選挙がなく、ミロクと志を共にする敬虔な教徒たちによって政治が行われた。彼らはみな敬虔で、自分たちの敬虔さに絶大な誇りを持っていた。彼らは一切利権を得ようとはせず、ひたすらアルティス教の世の誕生を夢見て革命を断行した
 彼らは私利私欲に溺れるどころか私財を投げ打って革命に心血を注いだ。特にミロクは最も敬虔で、質素な暮らしの中に幸福を見つけようとした
 ミロクは国民に対し、「私は全ての国民に私以上の生活を約束する」と述べた。そしてミロクは進んで質素な暮らしをした。革命が終わるにつれてミロクの約束は実現化されていった

 ミロクの時代は恐怖政治である。だがそれはアルティスの考えに背く者、悪人にとっての恐怖政治である。宗教政治であるため、アルティスに従う敬虔な信者にとってはこれほどの理想郷はなかった
 ミロク以前は現在の日本やアメリカを更に退廃させたような社会であった。敬虔なアルティス教徒はその社会に耐えかねていた。社会悪を何としてでも排除しなければならないと考えていたため、ミロクの台頭は彼らには望ましいものであった
 ミロクは全ての国民から歓迎されていたわけではない。アルティスに敬虔であるほどミロクを歓迎し、堕落した人間ほど非難した。そしてミロクは堕落した人間を捕まえて収容した。そして世の中から自分の反対者を消していった
 この急進的な動きに嫌悪感を示した人間も政治犯として収容された。敬虔なアルティス教徒でもミロクに反対すれば収容された
 ミロクはそういった信者を収容するのにためらいがなかった。アルティスの世を速やかに合理的に築こうとする大業を邪魔立てする者は偽の信者であると規定したからである。偽の信者であれば守る必要はない。収容所行きである

・対外政策

 アルバザードは世界一の強国であった。その軍隊をミロクは掌握した。ミロクはその軍隊を使って周辺諸国を従えていった
 アルバザードだけを厳しく規制すれば堕落した人間は周辺諸国に逃げる。それは予想済みであったため、ミロクは軍隊の掌握と同時に周辺諸国の掌握を始めた
 ミロクは各国に存在する敬虔なアルティス教徒たちの団体に内乱を起こさせ、国内事情を不安定にさせた。それと同時に中枢部に圧力をかけ、アルバザードと同じ制度を取るようにさせた
 それに逆らえば当該国の政治家を軒並み殺害するという旨を伝えた。そして実際に従わなさそうな連中は予告なしに大量に暗殺した。所詮は自分可愛さの政治家たちなので暗殺を目の当たりにした彼らはミロクに恭順した
 ミロクはまず、周辺の小さい国から恭順させていった。その後、勢力を拡大しながら大きな国も恭順させていった。逆らえば徹底的に軍事力で潰す。それを見た国は恐怖のため、従わざるをえなかった
 ミロクは周辺諸国が連合を組むと厄介だと考えたため、諸国が連合を起こす前に素早く動き、数日のうちに邪魔な国は全て掌握した
 しばらくすれば連合も立てられないくらいの状況になった。主な国がアルバザードに恭順すると、残った国は抵抗なく、或いは自分から進んで恭順してきた。ミロクの徹底的なやり方を恐れたためである
 こうして全土がアルバザード化したため、堕落した人間は逃げ場を失った。そもそも逃げようとする人間を囲うのは難しい。小さな穴があればそこから抜け出してしまう
 小さい穴が開かないように日々気をつけるくらいなら、逃げ場を先に焼き打てば良い。逃げたい場所を先に潰せば良い。そうすれば小さい穴に気をとられなくてすむ。どうせ小さい穴など塞ぎきれないのだからこちらのほうが得策である
 尤も、これはアルバザードには逃げたい場所を潰すだけの力があったからこそできた方法である

<革命考察>

・革命の新旧

ミロク革命が最初に作られた時は制アルカの時代で2003年前後だった。この時期に突然ぽっと出て湧いたわけではなく、それまでにアルバザードの現代社会を築いた背景設定というものはいくつか存在した。そういったものを集めて一人のミロクという巨人を作り、一つの歴史的事件としたものがミロク革命である。
当時のアルバザードはまだ架空の世界という色合いが強く、現実的にありえる形というよりもむしろ理想の社会としての意味合いの方が強かった。それがだんだん年を追うごとにカルディアという世界が細かく作られて行き、それとともにリアリティーが重視されるようになっていった。リアリティーが重視された結果、ミロク革命も同時に理想の社会を築き上げた革命という視点からヴェレイの悪政をできるだけ改善しようという方向性にシフトしていった。
このシフトは2010年頃に完了した。というのもこの時期にイルムスの執筆を行っていたためである。2010年を境にミロク革命を新旧で分ける。
旧版は理想の社会を描いてこうだったらいいのになあという結果から物事を考えていった。それに対して新版はヴェレイという社会があって、その社会に何を働きかけたらどう変わるかという視点で作られている。
またアルバザードが1位の経済大国かつ軍事大国であるという前提を覆さないような社会を作る必要がある。
理想の社会では食べ物に困れば神様が施してくれて戦争もなく犯罪もない世の中というのが実現できる。ところがリアルに考えていくとそんな社会は当然存在するわけなく、より痛みの少ないよりベターな社会を築くという考え方に変わっていく。それが新版の特徴である。

・旧版の無理なところ

例えば旧版では夜間外出禁止令というものがあり、犯罪率を減少させるために夜間の外出を制限していた。この社会では夜外に出ることができない。そうなると当然外食産業は大打撃を受ける。またそれよりもさらに深刻なのは物流業界である。夜の間に高速道路や一般道を使って商品を運べないとなると、昼の間に全てを運ぶことになる。これでは例えば道路だけで考えても夜はガラガラで昼は混み混みということになり、非常に非合理的である。運ぶのに時間がかかるということはそれだけ人件費がかかるということで、商品の価格に上乗せされる。ところがそう簡単に商品の価格に上乗せすることはできないため、まず最初に人件費が削られる。そうすると小売業や物流業がまず初めに被害を受ける。日本のように24時間どこかしらの業界が働いているという状態の方が例えば道路だけ見ても利用効率がよい。
道路というような目に見える具体的な例だけでなく、例えば電気にも同じようなことがいえる。電力会社からしても夜間の間国民が全く電気を使わないのでは困る。基本的に電気というのは蓄えが効かないか或いは蓄えることが苦手なので、夜作った分は夜使ってほしい。またエアコンや待機電力等の関係から夜間に全く電気を作らないわけにはいかないので、その間稼働を止めるということはできない。そういうことを考えても電力会社からすれば、できれば24時間押し並べて同じぐらいに電力を使ってほしいものだ。だが現実的にそうはいかないので、夜間は昼間より電気代を安くするという仕組みをとっている。昼間と夜間の電力消費量の差が小さければ小さいほど電力会社は楽ができる。というよりも、そもそも昼に集中して異様にたくさんの電気を使われる方が困る。そういうわけで、例えば風俗業なり小売業なり物流業なり夜間営業している店舗があるというのは、こういった電力会社のような業界でも歓迎されることである。
このように、目に見えるところと目に見えないところで夜間の経済活動というのは無視できないほど影響力が大きく、これを全面カットするというのは、少なくとも経済大国であるアルバザードにはできない。

車についても同様である。車なんてない方がそもそも交通事故が発生しないので安全な世の中だということになる。事故がないのは素晴らしいことではないか。それは誰もが思う。ところがでは実際に車が走っていないとか或いは人と完全に分離された場所しか走れないというような社会で経済が回るだろうか。トラックはスーパーの店舗まで荷台を付けないと商売にならない。住宅街を一般車両が走れないとなれば当然車業界は潰れてしまう。
例えば日本で考えて、住宅地のような狭い道路を一切車が走れませんよということになったら、車を持つ人は今よりさらに激減し、トヨタ等は大損害を受ける。潰すわけにもいかないので、単に日本から撤退するだろう。もともと日本の企業であるにもかかわらず完全に日本を切り捨てて、工場も外国のみにし、資本を海外に移すだろう。となれば当然日本のGDPは下がるわけで、これと同じことがアルバザードでも起こりうるわけだ。
アルバザードが世界一の経済大国だという前提があるのならば、どうしてもこういう車というものを切り離すわけにはいかない。たとえ事故で誰かが被害を受けようとも、現在のようなあり方が結局のところ一番アルバザードを発展させるということになる。アルバザードが小国であれば車のない社会も作れるかもしれないが、世界一の経済大国という前提がネックとなりどうしてもこのような案を受け入れることができない。
新版では具体的にどうするかというと、例えば車道と歩道と自転車道をできるだけ分離するとか、GPSと連動して今車が時速何キロ制限の道路を走っているかを自動で読み取りその速度以上は出ないように機械の側で制限をするとか、交差点のところにARを設置しておいて曲がった先が見えるようにしておくといったパッチを当てるのが精いっぱいである。
ギャンブルにしても同様で、煙草にしてもそうで、これらは社会悪であることはわかっているのだが、これらがもたらしてくれる経済効果というのは非常に大きく、無視できるものではない。

・旧版がモデルにした北欧型社会は小国に適するということ

最近よく北欧型の社会が取りざたされるが、実際に北欧型の社会というのは小国で成立するシステムであって、アルバザードのような大国でこれを実行することは難しい。というのも、北欧型のシステムでは経済大国であることを維持できないためである。ここでいう北欧というのはスカンジナビアはもちろんのことデンマーク等も含む。
例えばこのデンマークのだが、デンマークは確かに格差の少ない社会ではある。しかしそれは皆が平均して金持ちということではなく、どちらかというと日本人から見れば皆が平均して小貧乏というような発想に近い。実際にこのタイプの社会をよく見てみると、上に行こうとする人間を邪魔しようとする圧力がものすごく強い。自由で格差の多いアメリカ等と比べると、特に明らかな傾向として現れてくる。北欧というと人柄が暖かいとか優しいというイメージがあるが、実際住んでいたリディアからすると評判程ではなく、やはり当然のことながらいじめ等は存在するし、むしろ上に行こうとするとか目立とうとする人間を押さえつけようとする力は強いそうだ。北欧全体の傾向としてヤンテのルールに代表されるような概念が存在する。これは通常デンマークなど北欧社会を賛美するときに引き合いに出されるものだが、悪く言えば出る杭は打たるということだ。
こういう国では、医療制度が非常によく、ほとんどタダで医療が受けられるというような喧伝がされることがある。実際に医療費がかからない国というのは存在する。ところがよく調べると、見てもらうまでに何週間もかかるとか、診察は無料だが薬代は非常に高いといった現実が見えてくる。
結局のところ日本は格差社会かもしれないが、具合が悪くなった日に飛び込みで医者に診てもらおうと思って病院に行ってもたいていはすぐ診てもらえるという点ではずっとマシである。数千円で見てもらえて薬も同様に数千円程度でもらえる。救急車を優秀ですぐ来てくれる。日本の医療問題はしつこい程取りざたされて、救急はもう駄目だのフランスはもっと少ない救急車の台数でどうにか回しているだのと言われるが、確かにある側面だけ見ていると日本は駄目かもしれないが、詳しく掘り下げて調べていくと結局外国は日本が維持している便利さを捨ててその代わりに別の便利さを得ているというだけだ。どの国も持っているパイは同じで、どのように切り分けているかの問題にすぎない。日本が手薄になっているところは別のある国が厚くなっていることがあるだろうし、逆にその国で薄くなっている部分が日本では手厚いということは当然考えられる。
そう考えていくと要するに理想の社会など存在しないわけだ。どこを切り捨ててどこを痛めるかという話でしかない。従って作りうるアルバザードというのはより痛みのないベターな社会というものでしかない。

もちろん北欧型が小国でしか機能しないことは旧版でも知識としては知っていたわけだが、理想の社会ではその矛盾を無視できるため、ご都合主義で通していた。

・一人の英雄がいても一億の目にはなれない

旧版ではミロクという巨人がいれば全てがどうにかなるものだという風潮があった。だがもしミロクが軍隊と同じくらい強い個人で、毒殺も何もできないぐらい強い人だとしても、理想の社会を築くのは不可能だ。というのも、ミロクは末端の国民一人一人にまで目を向けることができないからである。ミロクが賢人で勤勉で精錬潔白だとしても、国民は彼の目がないところではサボる。確かに彼は思い通りにならない人間を始末することができるが、一人一人を見て回ることはできないし、どんなに教育して意識を革命しようとしても、ミロクのように鉄の清廉潔白さを持った人間というのは早々でき上がるものではない。まして全ての国民をそうするというのは全くもって現実的ではない。
ミロクは確かに強いかもしれないが、だからと言って一人で何でもできるわけではない。例えば一人でビルが作れるか、辞書を書き上げることができるか、社会インフラを全て作ることができるか。できるわけがない。末端の作業員も必要だし、それを管理する現場監督も必要だし、その事業を行う会社も必要だし、その事業所に勤める社員も必要だし、その事業を束ねる役所も必要だし、その役所に勤める役人も必要になる。そしてミロクはそれら全ての人々を毎日チェックするわけにはいかない。結局ミロクがどれだけ清廉潔白な人間であっても、汚職や非効率は避けられない。
サボっている人間を見せしめに殺しにしたところで、それではミロクが見ている時だけ頑張ろうという風潮しか作らない。むしろそんな見せしめをすればモチベーションは下がってしまう。恐怖で押さえつけても結果的にペイしない。

・経済大国に格差はつきもの

格差社会は悪だと言われるが、少なくとも経済大国においては格差社会は必ず存在する。格差社会をなくそうとすると、どちらかというと経済力の弱い国になる。格差社会をなくすこと自体は可能なのだが、なくした結果待っているのは、皆が平等に貧乏な社会である。誰か或いはどこかの企業が勝ち組になってその国の経済を牽引していくというのが現実なので、経済発展をすればするほど勝ち組の企業は潤っていくという実態がある。その結果、当然そこに努める人間の給与は上がり、それでも下請けは安くこき使われるので、格差はどんどんと開いていく。ところが皮肉なことに、このような国で暮らしている末端の人間にとっては非常に暮らしにくいにもかかわらず、国全体でみると経済力は強くなる。いくら日本の派遣労働者らが搾取され消費が冷え込んでも末端の環境が改善されない理由のひとつはここにある。
韓国もそうで、2010年頃の韓国というのはサムスンがものすごく強い力を持っている。サムスンが韓国政府に納めている税金というのは日本のソニーの比ではなく、企業規模も全く比ではない。そしてこのサムスンの業績により、韓国の技術力や経済力はサムスンがない状態に比べたら遙かに向上している。では韓国人一人一人の経済はよくなっているかというと、依然としてそうではない。
経済大国では強い企業や強い個人がいて、その牽引者が勝ち組となって格差が生まれる。アルバザードも経済国であるならば、どうしても格差は存在することになる。問題はどうやって経済大国であることを維持しながらできるだけ格差を小さくするかというところにある。それはヤンテのルールのように上を落とすというやり方ではなく、下を上げるというやり方でなければならない。

・少数の経済学者の意見だけを参考にするのは危険

税金を上げて公共事業に回すという考えがある。こういうことを言っている経済学者というのは多少いる。ところがむやみに税金を上げると資本が国外に流出してしまう。特に法人税を上げた場合に顕著である。また、消費税のような内需型の増税を続けると、地続きの国はすぐ隣国に移住できてしまうという問題がある。例えばアルバザードの場合はすぐ隣のケートイアに逃げることができる。これを防ぐこともできるが、それでは北朝鮮と変わらず、その状態で世界一の経済大国の地位を維持するということは不可能である。
何を言いたいのかというと、具体的な少数の経済学者の意見を参考にすると思想が偏ってしまうので、日経新聞や各種経済誌から広く薄く参照した方が偏りにくく、アルバザード制作の役に立つということである。

・現実的な新版

つまるところ新版のミロク革命は旧版にあったような理想の社会をほとんど実現できておらず、現代の日本やアメリカといった経済大国の少し改善した現実的な社会という程度に過ぎない。
旧版は世界自体にオリジナリティがあるので世界そのものの創造が創作活動になったが、新版では社会そのものが現実的で現実に似ているため、どちらかというとその社会をどう使ってどんな小説や物語を作るかというところに重点が置かれる。
2010のイルムス再制作において、カルディアの重要性はアルカを圧倒してしまった。ところがリディアはカルディアはそもそもアルカという人工言語を成立させるための背景としての意義が大きいという点に回帰し、全体の制作におけるアルカのウェイトを向上しようと考えた。その折にカルディア自体がリアル指向になったことも重なって、今回の新版が生まれた。

・地球にペグしだした新たな理由

またリディアの思惑はもう一つあり、それは教育である。いくらアトラスが架空の世界であるといっても現実的には地球で使用しているわけで、あまり現代の地球とアトラスが乖離してしまうと、特に子供の教育という面において問題が発生する。大人は理屈でアトラスと地球の違いを理解できるかもしれないが、子供はそうではない。例えばこのメル21年にもすでにルシアは「どうしてウチの周りにはカルテンがないの?」や「どうしてお母さんは夜遅くに帰ってくるの?でかけちゃいけないんでしょ?」などという旨の発言をしており、大人を困らせている。
rdのような神話の時代ならともかく、少なくとも現代社会はある程度地球に似せておかないと今後まずいことになりそうだということがわかってきた。制アルカの時代はアシェットが地球でアルカを使うので地球とある程度社会を似せる必要性があったが、成員はみな大人だったため、現実と架空を区別することができた。ところが子供に教えていくとなると話は別だ。アイデンティティーに組み込む以上、あまり架空の話を組み込ませてしまうとその子の将来に問題が発生するため、あまり突拍子もないことは吹きこめない。そういう事情が出てきたため、制アルカの時代とは別の意味で地球にペグする必要性が出てきた。
そもそもセレンは子供がアルカを母語とすることにも反対なため、これ以上カルディアで汚染することは子供の将来によくないと考えている。あれは芸術として使うから面白い。自分の意思で入ってきたわけではない子供を巻き込むべきではない。リディアは逆に植え付けたい派だが、現実と架空の設定の矛盾に娘が混乱してきたことが原因で考えを修正して新版に至る。

・ひとつの世界で架空もリアルも

とはいえカルディアは非常に創作活動の場としては度量が広い。というのも、バリバリのファンタジーをやろうと思えばそれはrdまでの時代で可能であるし、逆にバリバリのノンフィクションをやろうと思えば、それは現代を使えばよい。時代を分けることでどのような創作活動にも対応できるという点で、カルディアは非常に便利である。

・多様性のある現実的な社会

新版というのは多様性を認めた社会に過ぎない。現実的なことを考えてくだらない人間やくだらない業界という存在を肯定しつつも、何が社会的に良くて何が上流階級かという考え自体は変わらない。つまり今まではレインのようないい子ちゃんしか存在できなかった社会だったが、そうでもない人間も存在できるという風になったに過ぎない。
旧版の価値観ではmayuはともかくganoといった位相を具体的にどのような人間が使うのかというのが謎であった。不良の女の言葉だというのは分かっているのだが、旧版の厳しい社会ではそのような人間は存在できない。いい子ちゃんばかりが存在し、いい子ちゃんばかりが再生産される社会だから、実際どのような層がganoに落ちるのだろうと疑問に思っていた。そもそもそういう女が存在しない理想の社会というのを想定していたので、ではこの位相は何だったのかという話になる。
新版ではそういうくだらない人間も含めてリアルな世界なので、そこにはレインのようないい子ちゃんもいれば、ギャルのようなくだらない人間もいる。つまり世界は多様性を見せたということだ。だからといって今までの価値観が覆さられるわけではなく、レインが上流階級のお嬢様だという点は変わらない。またレインの性格自体も変わるものではない。彼女は彼女で昔同様、お嬢様のいい子ちゃんで世間知らずだ。対してそうでない人間がいるという話に過ぎない。このほうが世界は広がりを見せ、創作の場としては使い勝手が良い。

自分の好むタイプの人間しかいない世界は心地よいが、それが現実的かというとそうではない。現実的な架空かという点すらも怪しい。
また、そもそも全員がいい子ちゃんだと、いい子ちゃんが当たり前で何の価値もなくなってしまう。悪いものがあるから良いものが引き立つという考え方もある。
結局のところ、作り手側がここ10年程度で少年の考えをできなくなってきたのだろう。思春期を過ぎると何かと現実的に考えてしまう。
ただ、それでもまだこんなものを作っているのだから、リアルファンタジーという価値観自体は大人になっても維持したようだ。

・思惑

新版ができた経緯についてリディアの思惑はすでに述べた通りだが、セレンの思惑としては世界に多様性を持たせることで作ることができる作品の幅を広げるという点がある。今までの制度だと、例えば夜のシーン一つ取っても夜間外出禁止令等があるため、色々と行動や時間が制限される。不良や悪人がほとんどいないという設定も、小説等を書く際にはそういう人物が必要なシーンもあり、たびたび不自由を感じてきた。良いものだけでなく悪いものも存在する世の中の方が現実的だし、良いもののありがたみも実感できるし、何より作品の幅が広がる。
今まで作品を作ってきて感じたのは、良い世界ではあるが窮屈で狭量だということだ。そういう意味で旧版のカルディアは必ずしも作品を作りやすい舞台とは言えなかった。レインのような旧版の価値観を体現したキャラクターは依然として作ることができるため、世界は単純に広がりを見せたと言ってよいだろう。

また現実的に考えると、リディアが子供たちにカルディアを押し付けない可能性がないので、ならばせめて子供たちがまともな価値観を持つように、アトラスと地球をなるべく近づけるというのも本意であった。この件については結果的にリディアと意見が完全に一致したため、比較的円満に事が進んだ。

・免責

旧版の社会だと、ミロク革命の正義をよしとする人間には理想の社会に見えるが、そうでない人間には非常に窮屈でつまらない世界ということになる。作り手側はこの社会を使って作品を作っているので、読者がもしこの社会そのものの仕組みがよくないと思っていたら、たとえその小説が面白いにせよ面白くないにせよ、いずれにしても社会の時点で面白くないと感じてしまうだろうなと考えた。そしてそれは非常にもったいないことだなと考えてきた。もしここの社会が現実とそんなに変わらないとすれば、その地球と大差ない社会システムに当然気に食わないところが読者それぞれあるだろうが、それでも現実と同じであるならばわざわざ作り手に不満が向くことはなく、作り手側としては免責を受けることになる。
簡単に言えばこういうことである。十代の少年がアルバザードの社会を見たときに、夜出歩けないのは非常につまらない文化だと考える。一方新版の社会では青少年でもある程度の時間までは外に出ることができる。そのせいで当然旧版に比べて治安は悪くなる。不良に対して不快感を示す読者は当然いるだろうが、それは現実と変わらないため「ああ、どこでも悪い奴っているんだな」という程度にしか考えない。少なくともそれが現実と同じである限りは、夜間外出禁止令のように「わざわざそんな設定を作るなよ」と作者側に不満を感じることはない。現実と同じくそういうものだろうと考えるため、作り手側には免責となる。
作り手にとって何が良いのかというと別に決定的に良いわけではないのだが、旧版のような癖の強い社会であるがゆえに「社会の時点でこの小説を読みたくない」と思わせることがなくなるという点で助かる。

●アルバザードが首位から転落しないワケ

もしアルバザードを日本と同じように滅ばせたいのなら、日本と同じシステムにしただろう。だがアルバザードは世界一の強国だ。しかもアメリカのような新参と違い、長年に渡って一位を維持してきた。
アルバザードが首位を維持できたのは学問や研究を疎かにせず、高尚なものに注力してきたからである。革命家の力が弱まるとすぐ人間の弱い心が易きに流れて低俗なものが流行るが、そのたび革命家が現れ、低俗>高尚だった世の中を高尚>低俗に戻してきた。
その結果アルバザードは高い技術力等を誇り、他国に対して常に優位な立場にいることができた。もし革命家が現れなければ、ローマ→フランス→イギリス→アメリカと首位が渡っていったように、アルバザードも一位から転落していたことだろう。
地球には魔導師の革命家がいないのでカルディアの革命はできないが、カルディアには魔法があるのでできる。だから地球の見方で「その革命はしくじる」と言うのは適切でない。
この国の革命は毎回世界を巻き込んで世界規模で世の中を変えるので、どの国にも「革命コスト」がかかるため、アルバザードの優位性は揺らがない。
また、アルバザードの技術を盗んで追いつくことはできても、きちんとした素地がないまま表面だけ盗んだ者に追い越すことはできない。

ミロク革命はなぜ支持されないか

セレンの周りでミロク革命に賛同するのは共同制作者のリディアしかいない。制作者以外に革命に賛同した者を見たことがない。メルも「お兄ちゃんがそう言うなら支持する」という条件付きだし、5歳の紫亞は無条件に洗脳されていて自発的な賛同ではないし、ほかの使徒やネットユーザーにいたっては賛同すらしていない。特に後者の中には明確に批判してくる者もいる始末である。
なぜこの腐りゆく日本などの先進国を改善するカンフル剤が称賛を浴びないのか不思議でならない。たいてい、やりもしないうちに「そんなのうまくいくわけない」だの、「その方法では変わらないか元に戻る」だのといった批判が来る。
セレンの父親の世代が若いころには理想に燃えて革命を口にしたものだそうだが、最近の若者はこの腐りゆく国で理想すら求めず諦めて思考停止しているように思える。やりもしないうちに否定したり、うまくいかない理由ばかり探している。巧くいかないなら力づくで巧くいかせればいいだろう――と若者らしく考えないのが不思議でならない。「最近の若者は本当に正義感も理想に燃える熱い心もなく、ネガティブで、『無理だ無理だ!』から入るペシミストばかりだな」とがっかりする。革命のような暴力的な解決策や独裁主義を何か根本的に悪いものと勘違いしていないか?彼らを見ていると独裁主義や社会主義と聞くだけで無条件に悪とか失敗とか決めつけているように見える。特段自分で体験したり熟考したわけでなく、学校やメディアに洗脳された通りに脊髄反射しているように見える。総じて苦労していない人間、苦汁をなめさせられたことのないぬるま湯生活の人間ほど、体制側につくものである。見ていると苦労知らずで現実で辛い思いをしたことのない浅薄な人間ほど、ミロク革命に賛同しない傾向がある。
持つ者が持たざる者を虐げ搾取する現代日本では、持たざる者は刃を以って持つ者を粛清すべきだ。そうした決起を各所で群発させることでしか、持つ者を脅かすことはできない。既得権益者が持たざる者の嘆きを聞いて既得権益を捨てると思うか?ねーよ。既得権益者どもは自分の身に危険が及ばない限り決して既得権益を離そうとはしない。暴力は悪いことだ?馬鹿を言うな。それは体制側が奴隷をこき使うための洗脳にすぎない。決起しなければ持つ者は持たざる者が死ぬまで搾取しつづけるではないか。持たざる者が決起して集団で持つ者を脅かさない限り、既得権益者は既得権益を捨てようとはしない。話し合いで既得権益者が既得権益を捨てると思うか?絶対ないね。もしそんなことが起こるなら、既得権益者が身の危険を感じたときだけだ。だから暴力、最低でも交渉に使うための暴力的背景は必要悪なのだ。そのことがなぜ今の日本人には分からない!?なぜミロク革命を支持しない!馬鹿なのか?体制側の都合のいい洗脳教育にいいように洗脳されて搾取されていることに慣れきった豚どもが。
特に若者が質悪い。この世代は選挙もしないし自分たちの国が滅ぶのが分かっていても勉強もしない。四当五落なんていう言葉はもはやこの世代には死語だ。この国の若者がすべきことは老害の排除と次世代の育成だ。このまま少子高齢化を維持していたら国は滅ぶ。老害の既得権益を引剥がし、安楽死センターを作って積極的に安楽死を導入して高額な福祉・医療費問題を解決し、若者に金と職を回し、同時に女は一部の有能な人間を除いて社会進出だなどと女のくせに生意気なことを言わずに黙って結婚して子を産み育てなければならない。そうしないと国が滅ぶのは明らかなのに、しようとしない。それどころかその解決策や革命の理想に賛同すらしない。本当に動くべきは若者なのに、その若者が動かない。
選挙は実はすべきでない。今のシステムだと老害に勝てないようにできているからだ。むしろすべきはテロだ。若者が数千万人単位で集まってテロを起こせば、いくら背景に国家があろうとテロは成功する。このままだらだらと国が滅ぶよりは、よほどテロを起こして一度この国を焦土と化しても不死鳥のように復活させたほうがよいのだ。腐った国は一度壊して作りなおさなければならない。今の日本は手を怪我した者が手を切断したくないと喚いた結果、化膿が腕にまで及んでいる状況だ。このままではいずれ膿は全身に至って腐り落ちる。それならいっそ強硬手段を取って痛い思いをしてでも改革をすべきなのだ。それがミロク革命なのだが、牙を抜かれた今の子供たち、そして牙なんぞとうに欠けた大人たちにはそれが分からないらしい。
思うに、ミロク革命というのは頭の良い人間で、体制側に反感を持ち、タカ派で、合理的で未来の再生のために目の前の痛みに耐える根性があり、子供のように純粋で、体制側の作った洗脳に惑わされず自分で考える力を持ち、熱い心を持った人間にしか理解できないのではないだろうか。
今の日本人は冷めた目でミロク革命を浅はかな子供が考えた幼稚なソリューションと斜に構えて格好つけているだけだ。最近の人間はイヤに斜に構えてニヒルを気取っていないか?熱く革命に燃える人間に冷水を浴びせて「そんなの無理だ、うまくいきっこない」と笑って見せることで自分のほうが大人で冷静だと見せかけて格好つけていないか?そう、今の日本人はそうなのだ。そしてこれは今に始まったことでなく、ここ数十年でどんどんひどくなっていることなのだ。恐らくこの文章と同じようなことを70年代にも考えていた人がいただろうし、今後何十年か経って見たときに「こんな昔からセレンさんが現代と同じことを言っていた!」と驚く未来人がいることだろう。
そう考えると、結局どの時代にも熱い奴はいるにはいるし、それを冷めた目で斜に構えて自分では何もしないくせに批判だけはいっちょまえの奴が大勢いるのは変わらないのだろう。どの時代もそういう構成で、セレンらのように正義と理想に燃える人間は少数なので理解されないし、賛同もされないのだろう。
とはいえ、セレンの父親の代に比べて今の若者は更に考えなくなっていることは事実で、このままいけば未来人の時代には更に事態が悪くなっているかもしれない。いつの時代も若者を嘆く声はあるが、少なくとも戦後の苦労知らず世代の範囲では、どんどんひどくなっているのは体感的に事実だ。
ミロク革命が理解されないのは、苦労知らずでなく、頭の良い人間で、体制側に反感を持ち、タカ派で、合理的で未来の再生のために目の前の痛みに耐える根性があり、子供のように純粋で、体制側の作った洗脳に惑わされず自分で考える力を持ち、熱い心を持った人間が少ないからだろう。多くの苦労知らずのお坊ちゃんは体制側だからこの腐った社会に疑問を抱かないし、虐げられている下の人間はこれだけ深く世の中について考えるだけの頭がない。セレンやリディアのように上層で頭が良いのに体制側に靡かないようなごく一部の人間しかミロク革命の良さが分からないのだろう。まったく嘆かわしいし、甚だ愚民どもの無理解が不快だ。
【用例】
hai, es yuu xam van mirokizm sei. selan memir alka ovaen ridia o xia xam mirokizim siina kont alt so elf tu sin a. それにしてもなぜ誰もミロク革命に賛同しないのだろう。リディアや紫亞のように最も親しい人は賛同してくれるのだが、ほかは誰もしてくれない。

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